コンセプトを持ち、今を表現して生きる(方法論で生きない) Draft

『生活の豊かさの指標は複数の選択肢を持つこと Draft』で書いたように、生活を送る上で、個人として自由度がどんどん増しています。旧来は常識であった「会社勤め」という幸せが不確かになった裏返しでもあります。そのときに大事なものは、「方法論」ではなく、「コンセプト」や「表現」であると思います。

(※要は「生きたいように生きれば」「やりたいようにやれば」というだけのこととは思いますが、小難しく書いています。)

自由度が増しているときに考えること

「稼ぐ」から「生きる」への価値観の変化と、その実行可能性が高まったことにより、様々な事柄について、複数の選択肢を持つことができるようになってきました。例えば、僕らは、色々なプロジェクトに色々な関与の仕方が可能になり、報酬も「かね」に限らず、様々な形で受けることができるようになります(たぶん)。そして、そのような活動をひとつの場所だけでなく、複数の場所で実行できるようになる。そんな世界が目の前にある状況で、僕らは何を考えるべきは、「様々な分野の事柄について、適切な数の選択肢を持つこと」です。そのために、何から考えるべきなのかを整理してみました。

「方法論」を追求しない

「会社勤め」というフレームが幸せの象徴とは言えなくなってしまったときに、まず考えたくなるのは「なんらかの専門性を極めること」だと思います。専門的な知識や技術を取得することで、どこかに属して働かなくともよい気がします。実際、私が会計士の資格を取ったことの理由のひとつも、そんな想いがあったことです。
ただ、「サバイバルしやすい専門性の組み合わせを体得する」というアプローチは、なんだかすごく「資本主義」というか「稼ぐ」を前提にしているので、「職場」の選択肢を広げるだけで、結局「仕事」「報酬」「拠点」の複数化には成功しているとは言えない気がするのです。(別にそれも全然、ありなんですけど、考えてしまうんです)

「コンセプト」を持ち、今を「表現」する

とは言え、何かを実現したいと思ったときに、どこかで必ず「どうやるの?」という問いに答える必要があります。つまり、方法論の体得は否定しようがないのですが、「専門性を高める」ことを目的化したアプローチが、「稼ぐ」にフォーカスしたアプローチで、なんだか肩肘はった疲労感があるように感じます。
では、何が重要かというと、自分自身の「コンセプト」に自覚的になることや「表現」するアクションそのものに着目することです。つまり、方法論の体得を職業リストの中から選ぶように選択するようなアプローチは止めるということです。(自分で言ってて、大丈夫かと思いますが)

「生きたいように生きれば」「やりたいようにやれば」というだけのこと

起点且つ終着点をイメージすることや、ずっと見据えることができる「コンセプト」を持ち、今、アクションすること自体(「表現」)にフォーカスすることの方が、フレームが与えられない世界では明らかに健康的で、柔軟に生きやすいです。その結果、方法論が手元にある状態です。

何回も同じこと書いてしまうのですが、自分のコンセプトに自覚的になることやたった今を表現することに注力することが大切だし、それができるようになる世の中になってきた(はずだ)ということかもしれません。(そんな生き方をしたいな)