東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から数日経って (地震、津波そして原発事故)

3月12日:地震津波

7時間歩き続け、帰宅し、翌朝目が冷めた。両足首に鈍い痛みを感じ、ヨガの練習ができないなと思い、またテレビを見ると、夜が明けて少しずつ被害の状況が断片的に明らかになっている。
津波の映像や津波が去った後の映像。すっかりと家がなくなってしまった集落、それも海岸線から数キロも津波の被害が及んでいるという記者の言葉に耳を疑い、いたたまれない思いで、PCを立ち上げる。
何度も何度も繰り返される地震津波津波で壊滅した街の姿、避難所の映像を見た。映像も僕がPCの前にいることもリアルなんだと考えると自分の無力さを感じた。なにをやっているのだろうかと。

こんなにも大きな災害が起きているときに、東京にいる自分には何ができるのだろうか。ツイッターを開くと大勢の人たちが同じ思いを抱えていることに気付く。実行可能なこととしては、節電、義援金そして献血だそうだ。

3月12日以降:原発事故

地震発生の翌日、3月12日の夕方頃、地震の影響で福島第一原子力発電所にある6つの発電機のうち1号機に爆発が生じた(午後3時45分)とのニュースが飛び込んできた。この爆発の内容、理由や影響などに係る枝野官房長官の記者会見は午後8時半過ぎだったため、多くの人たちが5時間程度は何が起きたのか不安な時間を過ごすことになった。また、その後も福島原発の発電機に爆発や火災などの事故が生じ、放射線漏れの可能性、その量、影響に様々な憶測を呼んだ。

3月15日現在の福島第一原子力発電所の発電機の可動状況および事故の発生状況は下記の通りとのこと。

  • 1号機:地震発生時に自動停止。3月12日に水素爆発。建屋のみ損傷。
  • 2号機:地震発生時に自動停止。3月15日に爆発音が生じたが原因および何が爆発したのか不明。
  • 3号機:地震発生時に自動停止。3月14日に水素爆発。建屋のみ損傷。
  • 4号機:地震発生当時は定期点検中。3月15日に火災が発生したが、数時間後に鎮火。
  • 5号機:地震発生当時は定期点検中。
  • 6号機:地震発生当時は定期点検中。

なお、事故による放射線漏れの状況はよく分からないので記載しないが、政府は福島第1原発から半径20キロ以内の住民に避難指示、半径20キロ以上30キロ以内の範囲に住人に屋内退避を指示し、福島第2原発から半径10キロ以内の住民に避難指示を出しているとのこと。

原発事故が生じた3月12日から15日まで刻々と変わっていく原発の状況が気になり、事故状況、理由、その影響についてTVやインターネットで情報を集めていた。
しかし、精神的な疲労が積み重なっていくことを感じ、積極的な情報収集は止めることにした。(非被災地での必要以上の情報収集は単なる野次馬にしかならない。)
政府、東電および保安院やその他のインターネット上の情報をまとめれば、確かに大事故であるが、チェルノブイリとはそもそも原発事故の性質が異なるし、スリーマイルのように炉心溶融メルトダウン)が生じたとしても、東京の人間が騒ぐような現状放射線の漏れではないとのことだ。
影響範囲が原発から20キロから30キロであるという報道を信じ、この事故が現場の方々の努力によって、被害を最小限に留められることを祈っている。

原発の今後

事故が収まったときに、今後の日本のエネルギーについての議論が再燃する。
二酸化炭素の排出を減少させる流れ、現時点における自然エネルギーの実用化の不可能性そして、原子力発電所の技術発達による安全性神話のせめぎ合いで、今後の原子力発電を中心としたエネルギー政策の方針が決まっているのであろう。
同時に今回の事故が原子力発電の促進を中心としてエネルギー政策の見直しを迫られることになるだろうが、そのときに、自分がどのような意見を持つべきなのかを考える上でも、ここ数日の原発事故に対する不安感や実際に原発事故の被害者の方々のことは忘れたくない。
(最新のエネルギー基本計画(平成22年6月18日閣議決定)によると「2030 年までに、少なくとも 14 基以上の原子力発電所 の新増設を行う」とのこと)