東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から数日経って (震災と情報伝達など)

東京でメディアを通して地震津波の大変な映像を目にし、原発事故の情報をアップデートしながら、気が滅入ってしまった。しかし、こうやって文字にすることで、幾分落ち着いていくのを感じる。ここ数日で感じたことを幾つか箇条書きにしておく。

震度5と津波の恐ろしさ

ビルの9階にある職場にて、「これ以上の揺れは建物が倒壊するのではないか」と感じ、家族のことやこれからのことを考えた。「死」を感じる体験。
恐ろしい映像をいくつも見た。何気なく潮が上がり、短い時間で街全体を津波が押し流した。映画のように迫ってくる訳ではない。

インターネットの活用

被災地への支援に関する情報(義援金、節電、献血情報等)の共有、知人同士の安否確認等に大活躍だった。また、一部の世論形成にも役立てられていたのではないか。
また、一部のテレビ局がインターネットを通じて番組を流していた。この柔軟な動きには驚かされた。一方で、地デジの存在意義とは?という議論には関係性はあるのだろう。

リーダーの記者会見

記者会見で、東電や保安院のエリートたちは言っていることがよく分からない場面や当事者意識を疑いたくなるような場面があったと記憶している。(現場で作業に当たっている方々とどうしても対照的に感じてしまった)
一方、枝野官房長官の記者会見は毅然としており、記者との対話も比較的まともでインターネット上でも応援メッセージに溢れていた。
同じことを伝えるのにも、肚の座り具合や覚悟の決まり具合が出てしまっていたのではないかと勘ぐってしまう。

海外メディアからの応援

日本の団結力や我慢する力などを賞賛されていた。温かい気持ちになるが、日常的にこのようなことを賞賛されることはないのは確か。

散文的に書いた感想から何が言えるのか、何をすべきなのかというのははっきりとは分からない。けれども、地震前に取り組んでいたことに、地震の後もそれ以上にしっかりと向き合い、何かが立ち上がってくることを期待して、毎日を過ごしていきたい。

数日前の記事にも記載しましたが、避難されている方々の生活がもとに戻ること、怪我をされた方々が早く回復されること、ひとりでも多くの行方不明者が見つかること、お亡くなりになった方々のご冥福を心より祈っています。