直島/豊島旅行(空間の旅)
梅雨入りした6月の土日に、アートで有名な瀬戸内海の島、直島と豊島に行ってきました。(行く前は知らなかったのですが)安藤忠雄を中心とした建築家がアーティストとコラボレーションして制作された「インスタレーション(空間作品)」に数多く触れることができる島でした。
アートという響きに「なんとなく面白いんだろうな」という軽い気持ちで行ってきましたが、旅先からは思ってもみなかった大きな宿題を持ち帰ってくることになりました。
草間彌生「南瓜」の近くで妹と戯れるわたし
印象に残った作品
- 豊島美術館(母型/内藤礼)
- 地中美術館(ジェームスタレル、モネ)(建築は安藤忠雄)
- 李禹煥(リウーファン)美術館の「瞑想の間」(建築は安藤忠雄)
- 家プロジェクトの「南寺(ジェームスタレルと安藤忠雄)」
李禹煥(リウーファン)美術館の「瞑想の間」では、誰もいないことをいいことに、ヨガの太陽礼拝や瞑想してみたり、興奮のあまり側転をしたりと大満喫。その話を少し。
李禹煥(リウーファン)美術館
空間が考えや行動を規定する
特にリウーファンの作品は「禅」を感じさせるような作品。その中に身を置くと美術館ではなく、「寺」にいるのかと錯覚させる、と言っても大げさではない。最も印象に残った美術館の一番奥にある「瞑想の間」。この空間を見たとき、入った人たちの多くが、集中力を高めたり、内省したりするだろうことがイメージできました。
同時に、直前の6月10日に六本木のアートギャラリーでヨガクラスを開催した際、参加者の方々の集中力を全身に受けた体験がよみがえりました。そして、改めて、あの六本木のギャラリーの空間が参加してくれた人たちの意識や行動を促していたのだろうと想像でき、明らかに空間が考えることや行動することを規定していることが肚に落ちました。
身体を使った実践が真実/リアル
加えて、リウーファン氏の作品は、彼が身体を鍛えているか、もしくは瞑想を日常的にしているに違いないと連想させるものでした。ある本によると、作品「瞑想の間」は彼の自宅にある四畳の瞑想室をモデルに制作したものとのことで、やはり、リウーファン、本物だったか!という感じ笑。真実やリアルは、実践以外にないことや身体性が重要という考えを証明してくれた気がして震えました。
【宿題】空間が人に与える影響とは?
ぼくは今、「shapes yoga community」をヨガスタジオがないヨガコミュニティをコンセプトに、様々な場所でクラスを開いています(もしくはその準備をしています)。そんな中、今回、空間を提示する多くの作品に触れたことで、期せずして、「人の考えや行動に影響を与える空間の不思議」という大きな謎を持ち帰ることになりました。
この謎への答えは、実践を積み重ねることでいつか熟成されて、何かの形となって現れるのでしょうか。楽しみです。
旅で受けた衝撃やもやもやとした謎は次のアクションの始まりになるものですよね。いつか「空間」という言葉を振り返るとき、2012年6月17日に直島と豊島で衝撃を受けたことがキッカケ。なんて言えるよう、この旅で感じたことを掴んで離さず、忘れたくないなと感じている次第でございます。
(おまけ)
ちなみに、ぼくは「学び」や「集中」というものを、とても個人的なもので、個人の頑張りに左右されるだけで世界とは切り離されたものと捉えるところが強い人間でした。でも、最近自分でヨガクラスを開くようになると、「学び」も「集中」も、実は人や場所との関係性の中に確かにあるものだ感じるようになりました。上の文章を書いているうちに感じたので、メモ。